9月の日記

9月1日

台風の影響か、断続的に(という言葉がぴったり)雨が降る。しかも一回いっかいが豪雨、雷雨という荒れ具合。気持ちが天気に引っ張られて、一日中寝た。そんな日もある。そんな日もある、と思う日が頻繁にある。

 

9月2日

帰宅後、気絶。

 

9月3日

どうもこのひととの会話はひっかかりがあるな、というのがある。ジッパーがかんでしまってうまく閉まらないときみたいな感じ。お互いにそう思いながら、なんとか会話を続けている感じ。

 

9月4日

聞かなくていい話を聞いてしまい落ち込む。他人の傷に傷つく、というのはレヴィナスの考えだけれど、本当にその言葉がしっくりくるときがある。ゆううつな夜。

 

9月7日

転職アプリを見回るのが日課になりつつある。逃げ道があるということを認識するだけで少し心が軽くなる気がする。でも、楽な仕事というのはこの世にはないのであって、今の仕事ではないものを「逃げ道」と考えること自体、間違っているなと思う。

 

9月10日

とんちんかんな日。ひとつミスをすると気持ちが焦って全ての歯車が噛み合わなくなる。なんとか帳尻が合うように収集をつけていくことが働くということだったっけ。

 

9月12日

愛想笑っているつもりはないけれど、突然「もう笑うのに疲れた」と思う瞬間があった。コンセントが抜けて電源が切れてしまったみたいな感じ。

 

9月13日

毎日、逃げるように職場を出る。

 

9月14日

受け取る荷物があったのでまどろみながら待っていたら、夢とうつつのあいだでどっちつかずになって疲れた。一日何もしないと決めて休む。ようやく水面に顔が出た感じ、久しぶりに呼吸ができた気がした。

夜はBUGのオンラインイベントを視聴。キュレーターの能勢陽子さんのレクチャーを聞いて、ますます美術館へ行きたくなった。キュレーションは見方の提示、いい言葉を聞けた。

 

9月15日

GYRE GALLERY『ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展』へ。ポスターにもなっている《カプリバッテリー》は、シンプルなのに観る人の目を惹きつける不思議な力があるなと思った。この展覧会のそれぞれの作品をつなぐ存在のようにも感じた。

加茂昂《惑星としての土/復興としての土1》と《 惑星としての土/復興としての土2》が記憶に残った。自身の排泄物を分解させた「堆肥顔料」で描かれているという。右側の少し暗いトーンの絵から、左側に視線を移すと明るくなった空と整えられた土地が見え、何度も順番に見比べながら鑑賞した。

展覧会を出ると、通りに面したMaison Margielaの店舗に列ができていた。ひとの多さには疲れた。

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9月16日

丸3日間休んでようやく何かをする気になった、けれどその時点でもう休日が終わるという事実。行きたいところ、やりたいことをピックアップする作業で燻った気持ちを落ち着ける。

やろうと思っていてできないことばかりで自分を責める気持ちでいっぱいになったが、ふと、今の自分の思いをたとえばとても好きな友人から打ち明けられたとして、きっと私は「大丈夫だよ」と言って一生懸命にその人にかける柔らかい言葉を探すだろうなと思った。好きな他者に向けたい種類の優しさを、たまには自分自身に対して使ってみてもいいのかもと思った。

 

9月17日

くしゃくしゃに丸めた紙を広げてはもう一度丸めてくしゃくしゃにして、ぐしゃぐしゃになって、最後には耐え切れずに千切れるみたいな日。そんな中でも、小さな孤独を持ち寄って答え合わせをするみたいな瞬間があって、この孤独は間違ってないよな、と思えたから少し救われた。

なんとなく、自分から外に向けたベクトルの力のかかり方というか、自分以外の他者とエンゲージしようとする(噛み合おうとする)意欲の強弱みたいなものがひとによってある気がしていて、自分と相手のそれがあまりにも釣り合わないときにどっと疲れが増す気がする。たぶんそれは相手も、そう思っている。

 

9月19日

尊敬している人から向けられる「おつかれさまでした」の一言で、大いに報われた気持ちになる。

 

9月20日

いつもなら淀みなく打てるはずの相づちが全く頭に浮かばなくなって、疲れを自覚する。早く帰って寝る。

 

9月21日

1日中気絶。夜にようやく起き出して、10月に予定している関西地方の企画展ツアーの算段をつける。京都・大阪のホテルが軒並み1泊3万、4万円台になっていて閉口する。ザ・ミレニアルズ、ファーストキャビンなどの簡易宿泊施設でようやく1万円台になる現実。なんとか少しでも手頃な価格のホテルを探し出して予約した。ふう。

 

9月22日

練馬区立美術館の企画展『平田晃久―人間の波打ちぎわ』を見に行く。練馬区立美術館の改築を平田氏が手がけることになっており、休館前最後の企画展となるそう。想像していたよりも人が多かったので驚いた。

平田氏自身が書いたと思われるキャプションがとても詩的に感じられて、作品よりもキャプションをじっくりと読んでしまった。展示は、インスタレーションや模型、映像、写真が駆使されていてとても手が込んでいるように思えた。個人的には結局、建築そのものにはキャプションほどの魅力を感じられなくて、これはこれで面白い体験だなと思った。

建築は基本的に施主がいて、誰かのオーダーに応えるための手段としてあって、殊更美術館や図書館といった公共施設の建築は、受け入れられない人がいないように計画されるはずだ。私がどちらかというと利己的な表現が好きで、その点で今回見たもの(というか、建築そのもの)と趣向が違うのかもな、などと考えた。エントランスホールの展示〈波打ちぎわの波打ちぎわ〉はとても美しかった。

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9月27日

たったひとつ嫌なことがあっただけで一日の終わりが暗くなる。

 

9月28日

少し仕事。好きなパスタを食べに行った。

 

9月29日

洗濯を回すためだけの休日。

 

9月30日

自分のOGORI&MUNOU(ref. OVER THE SUN)を久しぶりに確認。自信がついてきたときはやはり疑った方がよい。等身大の更新。