雑記 20260911

雨が続く。梅雨の時期よりもむしろ今の方が毎日傘を持ち歩いている気がする。止んだと思っても、次に外に出たときには降っていたり、弱まったと思ったら強くなったり。

外へ出かけなければいけないときに雨が降っているとかなり億劫だが、帰宅してからの夜、外でぽつぽつと雨の音がしていると、なんだか落ち着く。強く降っていると、それはそれで心地よく思う。静かで、しんとしている夜よりも、雨音のする夜の方が好きだ、と感じる。

ただ、さすがにそろそろ、晴れ間がほしい気はする。

 

*

 

週5で働くのがきつい、と最近本気で思うようになってきた。どう考えても身体がしんどい。今日は頑張るぞと思って仕事をすると、翌日にはもう具合が悪くなって、重たい身体を何とか起こして、引き摺って、外へ出てゆくことになる。自分だけ体力がないのか、それともみんな同じようにしんどいと感じながらそれを我慢する忍耐力を身につけているのか、分からないが、とにかく、毎日がしんどい。真っ暗な静かな部屋で、夢を見ないでいつまでも眠りたい、というのが最大の願いになりつつある。

ただしんどいというだけでは会社は休めない。会社を休むには、何某かの病院へ行って、あなたは病気ですねという診断をもらって、診断書を出して初めて休むことができる。病気ではないし、病気だと言われたいわけでもないし、ただ、このままだと病気になりそうなのでしばらく休ませてもらいたいです、という感じなのだが、もちろん、それがまかり通る世の中ではない。

一度完全にぶっ壊れないと休ませてもらえないというのも、なかなか酷な話ではある。

 

*

 

なんとか会社に辿り着いて、何の意味もないダブルチェックをしながら、ああ、羽が生えてしまったなあ、と唐突に思った。この仕事をしている意味も感じられず、求められていることを頭では分かっていながら、どこかで腑に落ちず(自分で、腑に落とすことができず)その通りの役回りを演じ切れなくて、何のために、私の大切な一日の大半を費やしてここにいるんだろう、と思い始めたときに、背中に羽が生えてしまった。心はふわふわと仕事から離れて、なんとなく地に足がつかないまま、でもこの場所を離れることもできずにそのあたりの宙を漂っている。いつでも飛び去る準備はできている、といった、その"READY"状態のまま、GOだけが言えなくて、留まっている。周りに敬意を持てなくなったらそれが潮時だと、Podcast『となりの雑談』でたしかそんなことを言っていた気もする、と考えながら、中途半端な日々を過ごしている。

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8月の日記

8月1日(土)

7月の疲れがどっときて、結局一日中寝ていた。真夏に飲まず食わずで寝ると体調を崩すと、分かっていたのにやってしまい、夕方絶不調でシャワーへ。今日までに図書館に返さなければいけない本があり、夜になってからふらふらと外へ出かける。軽食を食べて水分を摂ったらなんとかなった。ついでに売りたかった本をブックオフへ持ち込み。お金にはならないが、市場に戻っていくことに意味がある(たぶん。自己満足だったらすみません)。帰りにハイボール缶を買ってしまった。飲まないとやってられなくなっている。

 

8月2日(日)

トレッドミル転落事故により足首を捻挫してから、なんとなくもう負の記憶になってしまい行かなくなっていた24Hジム、退会手続きをしに行った。5月に入会してからのスピード退会なので、当然ながら短期解約の違約金がかかることも分かっていて行ったのだが、店長らしき男性に「お引っ越しですか…?」と申し訳なさそうに聞かれ、こちらが恐縮してしまった。怪我のことはダサすぎて言えないので、あ、忙しくてなかなか来れなくなっちゃったので…と適当にごまかしてそそくさと払うべきものを払って店を出た。別にお金があるわけでもないのに、こういうどんくさいことで無駄な出費をしてしまう日々。とはいえ、もう行かないものに会費を払い続けることのほうがもったいないので、人生こういうこともある、と思って乗り切るしかない。運動は続けたいので、職場で流行っているピラティスかホットヨガにでも移行しようかなと考えている。とにかく怪我をしないものがいい。

 

8月3日(月)

健康診断。空腹の時間が長いと気持ち悪くなるのでいつも午前中にしていたが、どうしてもこの日しか空いておらず苦渋の午後受診。いろいろと技術が進歩している21世紀に、なぜ健康診断は食事を抜いてへろへろになりながら受けるしか選択肢がないのか、とくだらないことを考える。終わった後、途上にあったロイヤルホストに吸い込まれてコスモドリアを注文。多少生き返ったが、やはり消耗した体力が戻らず。その足で帰社して仕事をしたが、帰ればよかったかも、と思った。そもそも、これだけいろいろと身体的・心理的ともにストレスのかかる検査の前後に普通に仕事をしなければいけない慣習がおかしいのでは、とまた考える。会社の定期健康診断なので仕方ないのだが、それにしてもやはり、負担が大きい。アラサーになって、昔は勢いでなんとかなってきたことのひとつひとつが、エネルギーの総量的にこなせなくなっている。

 

8月8日(土)

会社の先輩に誘われて、好きだというシンガーソングライターの方のライブへ。ひとに勧められてライブに行くのは初めてだったが、とてもとてもよいライブで、好きになってしまった。

帰り、先輩と明るいうちから飲み始めて幸。いい日だった。

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8月12日(水)

世の中が夏休み、お盆休みモードになっていてうれしい。個人商店は軒並みお盆休みになっていて、その張り紙を見るたびになんだかほっとする。こちらはカレンダー通りに仕事だが、誰かが休んでくれているという事実だけで、ほっとする。うまく伝わらないだろうが、そうなのだ。

台風の影響で、涼しいがめちゃめちゃ湿気ている。べたべたとした汗をかく。

 

8月18日(火)

人生、一回休み、みたいな日。生きているといろいろとある。

 

8月22日(土)

夕方に大雨、夜中に地震と天災が続く。氾濫、冠水、東京駅近くでは信号機が地面に沈むなどの被害あり。夜中の地震では都内で水道管が破裂。

今まで体験した中ではかなり大きい方の揺れだったが、いざそうした状況に直面すると何もできず、とりあえず上から落ちてくるものがないか天井を見上げることしかできなかった。本当に首都直下地震が来たらサバイブできないかもしれない。

災害による被害のニュースを聞いていて、なんて脆い世界の中で生きているんだろう、と思う。天災や戦争が常にすぐそこにあるのに、自分自身も含めてあまりにもそのことを知らずに生きてしまっているなと思う。もっと大事なことがあるはずなのに、と思いながら何となく生きてしまっている。

 

8月25日(火)

職場の若い子とMBTIの話になり、「MBTI、ADHDなんで〜(笑)」と明るく笑うその子を見て、新しい文化を目撃した気分になった。ADHD・注意欠如多動症の名称がこれだけ広く社会に浸透して、救われた人もいれば、より深く傷つくことになってしまった人もいるだろうな、と思うなどした。

夕方、ドン引きオブザイヤー2026(暫定)受賞レベルのドン引き案件があり、しばらく動悸が止まらないほどの衝撃を受け、仕事も手につかないので一旦帰宅。心を落ち着けてから残りの仕事を片付けて、近所の回転寿司で寿司を爆食いしてなんとか傷を塞いだ。耐えられず仲の良い先輩にLINEしてしまい、「通り雨だと思って忘れることにします」と送信。全ての災難は通り雨だと思うことにする。生きているといろいろなことが起こる。

 

8月26日(水)

ICCの赤根所長に対するアメリカの制裁について、即時撤回と日本政府の支援を要求するオンライン署名に賛同した。できることからやるしかない。私が昼間に署名したときには8万人程度だったが、夜にもう一度見たら10万人を超える署名になっていた。どうかどうか、みんなの思いが社会を変えるきっかけになればよいと思っている。

リンク:https://c.org/PYXh5ntGs2

 

尻に火がつかないと取りかからない病、再び。どうにもやる気が起きなくて先延ばしにしていた課題を徹夜でなんとか完了。本当に体に良くないのでいい加減どうにかしたい。と、もう長い間そう思っている。

 

8月30日(日)

資格取得のために在籍している大学の通信教育科、3日間のスクーリング日程を無事終えた。体力がなさすぎて、3日間通うだけで泥のように疲れてしまった。働き始めてから生きやすくなったと感じていたが、やはりぶっ続けで話を聞いたり考え続けたりするのは体力がないとできない。勉強するって疲れるんだな、と再確認した。

周りの人たちの経歴を聞いていると、すでに何か大きなことをやってきた人たちばかりで、自分の何者でもなさに心の中で苦笑してしまった。ひどく落ち込むということはないけれど、間違えてちゃんとした人たちの中に迷い込んでしまったな、とは思う。でも自分で自分を信じて、やっていくしかない。

7月の日記

7月4日(土)

昨晩、いつもの先輩と「サクッと飲みましょう」と言って居酒屋に入り、わりとしっかり飲んで帰宅した。そのわりにはすっきりと目が覚めたと思ったが、昼前に強烈な眠気に襲われ気絶。次に目が覚めたときには17時になっており、万事休す。もはや夜勤の仕事をした方が理にかなっているのではないか、とひとりごちながら、もうよく分からないのでとりあえずシャワーに入ってリセットを試みた。夕飯を食べ、とにかくやらなければならない課題レポートを黙々と進める。夜の方が捗るので、結果オーライということにする。

 

7月5日(日)

最近、おもちのビートさんのYouTubeチャンネルにハマっている。ホンダビートの排気音を聞きながら作業。捗る。

 

7月12日(日)

午前1時、こんな時間に冷やし中華を食べている場合ではない。レポートに追われて昼も夜もなくなった結果、夜食に冷やし中華を食べるのが定番になってしまった。ビート動画を流しながら、気分だけは峠道。そんなことを言っている場合でもない。レポートってどうしていつの時代も「終わらない」ものなのだろうか。車を運転したい。

 

7月13日(月)

レポートが終わっていないが、キリキリとした胃痛がおさまらなくなり、一旦全てを諦めて寝る、にシフト。健康第一。

 

7月14(火)

どれだけのことを機械にやらせて自動化できるかという話を小一時間聞いて、心底げんなりしてしまった。人間が作業をするための素材を作るのに機械を使うのはよいと思うが、状況を見極めたり判断すること、コミュニケーションの内容作りまで任せてしまうとなると、もはや人間が仕事をしている意味などない。機械化して、人間側が週休3日や4日になるとか、1日の所定労働時間が減るとか、そういうことであればよいが、機械化したものの保守と、手を離れた分増えた新しい仕事を回すことに必死になって、結果的に私たちの生活は何も変わらない。本当に、自分みたいな人が時代遅れになっていくのだと思うが、もはやそれでもいいので、人間が仕事をするということの意味を大事にしていたい。

 

7月15日(水)

昨晩、どう考えても心臓の場所としか思えない左胸の奥が痛くなり、怖いので大人しく寝るモードにシフト。目が覚めたらよくなっていた。

今日から仕事上では新たなチャレンジ開始。落ち込むことが増えるだろうけれど、なんとか頑張りたいと思う。

 

7月16日(木)

ただの言い訳にしかならないが、自分自身について、本来人間社会を生きていくための社交能力が備わっていないところ、なんとか様々な学習をして外っ面だけ取り繕ってやっているので、ものすごく無理があるし、不完全なことをしていると思う。ひとと話すのは嫌いではないが、こういうときはこう返す、とか、学んで知った数式に当てはめて答えを出している感覚が少なからずあって、そういう瞬間を自覚すると、本当はひとと生きていくようにはできてない個体だよな、と自分のことを、思ったりする。

 

7月17日(金)

とても疲れるだろうな、と思って参加した会食、想定通りに疲弊し帰路。自宅の最寄り駅に着く頃にはちょっと輪郭が透けてきているのでは、と思うくらいに途方もなく疲れた。疲れすぎて、そのまま駅前のファミレスに吸い込まれて角ハイボール・濃いめを注文。気づくと白ワインのデカンタも頼んで飲んでいた。ファミレスのちょい飲み、意外と飲めてしまうので危険。

空腹で飲んだのもあって(わけあって会食ではほとんど食事がとれなかった)、しっかりアルコールが回った状態でお店をあとにする。

そのあたりから判断力がゼロになっており、どうも大好きなシュークリームを食べたかったらしく、その状態で食べれるわけがないのにコンビニでシュークリームを購入。家に着いて着替えるところまでは辿り着いたが、力尽きてそのまま気絶していた。ハッと気づいて目を覚ますと、シュークリームを両手でホールドしたまま眠りこけていた。慌ててシュークリーム氏を冷蔵庫にしまって再び寝る。ぐだぐだ。

 

7月20日(月)

寝たり起きたりしていたら3連休が終わった。いつものこと。日中が暑すぎてとても出かける気にならない。買い物に行くのも日が落ちてからにするのがデフォルトになりつつある。Xで、東南アジアの国々でナイトマーケットが盛んな理由が分かってきた、という投稿を見て、たしかに、と深く頷いた。夜に活動することを前提にしないと、本当に命に関わるほど暑い。

そう思って夜に買い物に出かけたが、それでも玄関を出た瞬間に「うっ」となるほどの暑さ。優等生気取りみたいな感じになるかもしれないが、深刻に地球温暖化が心配になってくる。

帰り道、地域の掲示板に「夏休み ラジオ体操」の文字。ああそうか、もうこのくらいから子どもたちは夏休みか、となんだか微笑ましい気持ちになる。どうか熱中症や水難事故などに気をつけて過ごしてほしい。

 

7月21日(火)

解せないこと多々ありだが、「ん?」と思った瞬間に考えるのをやめて次にいく、というのを心がけて過ごした一日。今は、ひとつひとつの過程よりも結果だけが大事、なフェーズと分かったので、とにかく自分の手を離れるか離れないか、離れてゆくものに関してはもう私の守備範囲外、の姿勢を徹底してゆくことにする。

 

7月22日(水)

拠りどころのない日、再び。昨日の今日で、これはきちんと過程を踏んで進めないとダメだな、という事態に直面し、ため息。紋切り型で何もかも、というわけにはいかないのが仕事。要するにその場その場に合った方法があるということなのだが、それにしても「過程を踏む」にあたっての社内外関係者のアレンジメントに行き詰まり、文字通り八方塞がりで頭を抱える。しがない平社員にそんな無理難題を突きつけないでほしい。微妙なパワーバランスを崩さないように細心の注意を払いながら物事を進める、というジェンガ遊びのようなことが、最近の仕事内容の大半を占めつつある(本当にやめてほしい)。

相談しようとした人には適当にあしらわれ、結局途方に暮れるしかなく、情けないことに仕事中に突然涙が出そうになった。自分でもびっくりして、とりあえずメンタルがもたなそうなので在宅に切り替えて仕事。暑さもあって疲れ果て、眠ろうとした記憶もないのに気づくと寝てしまっていた。考えなければいけないことが多すぎる、と思いつつ、こういうときはもう諦めて成り行きに任せた方がうまくいくのかもな、とぼんやり思う。自分がへたくそな調整をするよりもそっちの方がよっぽどいいのかも。自尊心、低め。

 

7月24日(金)

夕方、豪雨。職場で、なんだか外が暗くなってきたなーと思っていたら、今、ここに落ちた、くらいの音量で雷が鳴って、オフィスの中が一瞬ざわついた。体感1時間程度で雨は止んだが、帰りに地下鉄の改札を通ったとき、大量のタオルが敷き詰められていて、どうも雨漏りしたらしかった。短時間でも影響大。

精神的につかまるところがなく、形の上では普通に出社して普通に仕事をしていたが、内面では誰からも切り離された場所で孤立しているような感覚で、言いようもなくつらい1週間だった。本心を隠してうまくやる、というのは会社員たるもの当たり前のことだとは思うけれど、それにしても思っていることを言える場面がなさすぎて息が詰まる。みんなこれを乗り越えて生きているのだろうか。

 

7月26日(日)

散々遠回りをして、なんとか期日前に今期のレポートを提出した。やり始めたのが遅かったので最後に首が締まったのは完全に自分のせいなのだが、それはさておき働きながらとりあえずここまできた自分を褒めたい。頑張った。

 

7月29日(水)

他人の、何とも言えない自分本位な行動を目の当たりにした。怒りと悲しみから呆れ笑いまで一通りの感情を通過し、最終的にこれは「愛」で全てを包み込むしかないな、と思った。スピリチュアルめいていて申し訳ないが、それくらい頼りないものに頼らないとやっていけないくらいには、大きなダメージを受けた。しょうがないよな、人ってそれぞれ違う考えで生きてるもんな、別にそれで誰かが死ぬわけじゃないしな、言い聞かせて何とかやり過ごす。同時に、ああこれ、こういうことが嫌だと感じるということは、誰かと生きていくというのは結構難しいかもな、と知ることができた。自分の思うクオリティで仕上げられないことにとても強いストレスを感じる。もう、ひとりで生きていくのが正解だな、私は。

 

7月30日(木)

夕方、凄まじい雷雨。在宅勤務中に遠くから太鼓のような音が聞こえて、こんな時間にお祭り?などととぼけたことを思っていたら、それは文字通り遠雷だった。雷の音がだんだんと近くなり、あ、きたな、と思った瞬間、途方もないほどの雨音。今外にいる人たち、大丈夫か!?と心配になった。1時間もしないうちに雨雲は通り過ぎたが、とにかくものすごかった。昔シンガポールに行ったとき、夕方にスコールが来てびしょびしょになった記憶があるが、あんな感じだった。酷暑に雷雨、天気ももうだいぶおかしい。

 

7月31日(金)

周りにいる大人たちがあまりに幼くて、私も大概だがそれにしても、と言いたくなってしまう。自分自身、仕事観に関しては妙に昭和なところがあるので、「サラリーマンたるもの」的な発想で考えてしまいがちだ。そこまで行かなくてよいけれど、残念ながら自分の思い通りにならないことも起きてしまうのが仕事で、我慢することがひとつもない職場というのはさすがに稀だと思う。ひとにはそれぞれ得意なことと苦手なことがあって、苦手なことに関してはお互いに補い合って生きていくしかないと思うのだが(なにせ、自分自身が生きていてほとんど苦手なことしかないので、できないことを執拗に責められると困ってしまう)、そうは思わない人も一定数いるらしい。この人はこれが苦手なんだな、のほんの少しの歩み寄りが、なぜ、できないのか。

上も下もフォローしつつ、なんとか全ての物事をうまく回そうと奔走し、その途中ではたと、「あ、これやり過ぎると大きな失敗につながるやつだ」と我に返った。ひとと関係性を築くのが下手くそな人間が、我流で根回しや仲介役を買って出ると大惨事になるということを、散々経験して理解している。うすっぺらい正義感は今すぐ捨てる、と誓った。

いつもの先輩と飲み。オリオンビールがおいしい。沖縄へ行ってみたい。

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6月の日記

6月2日

なんやかやとごまかしてサボってばかりいたが、もうこれでお遊びターンは終了、という覚悟が(うっすらと)決まった。まだ取り返しのつくうちに頑張り始めるしかない。とにかくこの怠惰な性格、どうにかならないだろうか。

台風が近づいている。会社からの帰り道、すでに雨がぱらついていた。2Lのお茶を買って歩き始めてしまったので傘を差すのが億劫になり、そのまま帰ったがぎりぎり大丈夫、みたいな雨だった。台風、なるべく被害がないまま去りますように。

 

6月3日

夜中から喉に違和感を感じていたが、朝起きるとばっちり風邪になっていた。久しぶりに、はっきりと風邪をひいた、という感じの喉の痛み。微熱もありしんどいが、とりあえず仕事をする。外は台風により、大荒れの天気。

シャトルランのような行ったり来たりの手戻りを何回か繰り返して、ようやくひとつの仕事が落ち着く。安心したら急にどうしようもなくだるくなってしまって、退勤後すぐにベッドへ倒れ込んでしまった。風邪薬を切らしていたので買いに行こうと思ったのに、目が覚めたときにはもうドラッグストアが閉まる時間になっていた。ぼんやりした頭で、なぜか吉野家の牛丼が食べたくなり、ふわふわと吉野家へ。薬の代わりにねぎ塩牛カルビ丼を摂取して帰路(何かが間違っている)。

台風はすっかりと過ぎ去って、過ごしやすい夜。明日以降また暑くなるのだろうか。

 

6月4日

いじけている私を見かねた先輩がランチに誘ってくれた。ぐじぐじとやらない理由を言い訳のように並べる私を決して叱らずに、それはみんな通ってきた道だし、ひとりじゃないよ、ということを、実際に言ってもくれたし、それを伝えるためにたくさんの言葉を尽くしてくれた。お会計のときに自分の分を払おうとしたら、先にお会計をした先輩が払ってくれたあとだった。やばい、頑張らなきゃいけなくなりました、と笑ってお礼を言うと、そうだよ、頑張んなよ、と一言。今日食べたチキン南蛮の味が忘れられなくなる気がする。

相変わらずのどは痛い。頑張らないといけないので、早く治したたい。

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6月5日

のどが痛くて水を飲むのもつらいので、そそくさと近所の内科の受診を予約。仕事を中抜けして向かう。扁桃腺の腫れ、と事前の問診で答えていたので、のどの中を一瞬(本当に一瞬、チラ見、くらいの速度で)見るやいなや、「こっちが痛いでしょ?」と本当に痛い方とは逆の方を指差して自信満々で言われた。めんどくさいので、はい、とだけ言って笑った。医者になる頭の良さがあったからよかったけれど、一般企業にいたら苦労するタイプだろうな、と凡人のひがみ。

何はともあれ薬がもらえればそれでよかったので、処方箋をもらってお金を払い退出。仕事に戻る。

こんなときに限ってひっきりなしに電話、打ち合わせ。激痛ハスキーボイス。早く治したい(昨日と同じ感想)。

 

6月6日

薬を飲んだおかげか、少しよくなった気がする。まだしんどいので昼寝を挟みながら、今日は一日資格の勉強。やるべきことをやると気持ちがいい。

勉強に必要な本を買いたくなったので、夜は本屋へ足を伸ばす。最近ハマっているサラダボウルを買って帰りたい衝動を抑えて帰路。

話題になっていたよしもとばななさんのnote「クラウディクラウドファンディング」を数日前に読んだ。先に読んだ人たちが、衝撃的で壮絶だ、という内容の感想を投稿していたので多少身構えて読み始めたが、想像できる範囲の内容ではあったというか、こういう人たくさんいるよな、という感想が先に出てきてしまって、あとは読み物として秀逸だ、と思いながら画面を閉じた。よしもとばななは傲慢だとか、福祉に繋げるべきなのになぜそうしないのかとか、ひとつの側面を切り出して批判する投稿が、見ようともしていないのにXに勝手に流れてくる。インターネットとの相性が悪い文章であることは、間違いない。

 

6月7日

横山奈美さんの個展、リトライ。行こう行こうと思っていたら結局最終日になってしまった。

大きな絵画。目の前にして眺めていると、ひとりでに涙が出てきてしまう。会ったことのない誰かの筆跡、それを光として放つネオン、そしてさらに描き映された絵画。溢れる色彩、圧倒的な存在感。海の向こうの戦争が小さな島国から奪ったもののひとつが、嗜好品のパッケージの色彩だった時代に、この絵画を目にするということが奇跡のように思えてしまった。

次にこの絵を見られるのはいつだろう、と思うとギャラリーをあとにするのがつらかった。またきっと出会えると信じて。

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6月8日

抗生剤、抜群に効く。のどの痛みはかなり引いたが、代わりに油断すると空咳が止まらなくなるようになった。深呼吸しないように気をつけながら過ごす一日。

 

6月9日

公私ともに、細々としたやることがたくさんあって時間に追われる。限られた時間でやれることをやっていくしかない、と思いつつ、本当に全部真剣に生きようとしたら、どうしても時間が足りない、ということにだんだん気づいてきて、途方に暮れつつある。

 

6月10日

こんなことを言うと鬱陶しがられるのだと思うが、AIが、こんなにも急速に私たちの生活に浸透するとは思っていなかった。会社ではCopilotを使うのが突然当たり前になって、何かやりとりをしていると「Copilotはこう言っています」というコピペを送りつけてくる人がわりとおり、そのたびに何とも言えない苛立ちが募る。昨日、こういうことを考えているんですよね、という話をしていたら「Copilotに聞いてみたらいいじゃん」とだけ返されて、本当に驚いたしむかついた。文字通り、むかついた。私がそんなことも考えられないと思われてるのか、とか、どうしてあなたは自分の頭で考えないんですか?とか、今思い出してもため息が出る。でも、携帯電話が普及して、スマートフォンが当たり前になったように、AIもこれからもっと、生活や仕事に馴染んでいくんだろう。自分の頭で考える、ということがほとんど生きている意味だとも思っている極端な人間なので、AIをツールとして使うのはもちろんよいけれど、自分の頭で考えないでAIに答えを求めてしまうのは違うのではないか、と思ってしまう。

 

6月15日

春から在籍している大学の通信教育科の、3日間のスクーリングが終わった。予想していたが、へとへとに疲れた。周りとの差に落ち込んだ。でも頑張るしかない。それしかない。

 

6月18日

半月ほど運動をサボっており、さすがにまずいと思って久しぶりにジムへ。ひと通り筋トレをして、トレッドミルで気持ちよく走っていたが、一時停止をして止まり切る前にマシンを降りてしまい、バランスを崩してずっこけるという鈍臭すぎるムーブをかました。足首をひねった感じがして、本当に情けないが、痛い。ダサい、ダサすぎる……と完全に落ち込みながら帰宅。何かするといちいちドジを踏む。足も痛いが心も痛い。

 

6月19日

朝起きると足首の痛みと腫れが増しており、うーん……と悩んだ末(原因がダサすぎて病院へ行くのも憚られた)、念のため整形外科を受診することにした。近くの整形外科へ行くと、平日朝イチということもあってか、地域のご老人方の集会と化していて興味深い。⚪︎⚪︎さん、おはよう、今日は空いてるわね、と挨拶が交わされる中、アラサー女がひとり、ちんまりと待機。レントゲンを撮ってもらって、結果として骨は折れておらず、靭帯が伸びてしまって一時的に痛みと腫れが出ているとのことだった。全治1週間。固定のためのアンクルクロスというバンテージをもらって、退散。とりあえず、おおごとじゃなかったことにひと安心。ただとにかく、ダサい。

 

6月25日

雨。気温が低くて湿度が高いのでエアコンの除湿が効かない。じんわりと滲むような汗を押さえながら仕事。こういう蒸し暑さがいちばん苦手かもしれない。

言いようもなく心の底からイライラする出来事があり、むしろ私が自信をなくした。余計な口を挟まない、という鉄則を再び心に刻む。

 

6月26日

やらなければいけないことがあるときに限って本屋に寄り、読む時間なんてあるわけないのに新しい本を買ってしまう。

 

6月27日

台風が来るので一日外に出られないことをいいことに、昼まで爆睡。何度か強い雨の音で目が覚めた気がしたが、思ったほどの荒天ではない気もした(月初に来た台風の方がすごかった印象)。夜には雨も止んだのでお散歩に出かける。蒸し暑い。

 

6月28日

台風一過で晴れるのかと思ったら、まだ雨が続く。雨が降っているのかと思って傘を持って出たら降っておらず、次に出るときに傘を持たずに出たら帰りにしっかりと雨が降って、用意と結果が全然噛み合わない。課題のレポートを書かなければならず(尻に火がつかないとやらない)、レポートを書くには燃料となるお菓子が必要不可欠で、レポートを全て提出するまでに激太りする可能性がある。足首の捻挫が治りかけなので、治ったらサッサと運動せねば、と思うなど。

 

6月29日

蒸し暑い中、慣れない外回り。体力も気力もお猪口ぐらいの容量しかないので、情けないが疲れ切ってしまった。帰宅後、気絶。

起きてシャワーに入って出てきたらちょうどFIFAワールドカップの日本対ブラジル戦をやっていた。前半は観ていなかったが、日本が先制したとニュースで知って、後半戦から観るともなく眺める。サッカーのルールや戦術がさっぱり分からないので、ただボールと選手の動きを追うだけではあるが、なんとなく盛り上がるポイントみたいなものは分かってきて、面白かった(途中から、ワールドカップの放映権ってどうやって決まるんだろう、などと余計なことが気になりネットで検索しながら試合を眺めていた)。

アディショナルタイムで逆転されて惜しくも敗退。実況者だろうか、テレビから「国民の思いを背負って戦ってきましたが……」みたいな音声が聞こえてきて、思わず笑ってしまった。そんな、選挙みたいなことだったっけ?と思った。スポーツの、特にサッカー競技の周辺にある、勝手に"We"の中に入れられる空気が、申し訳ないがやはり苦手だと再確認した。

 

6月30日

前日の疲れを引きずる。会社で、ハラスメントに関する研修。研修会社の講師の人が、LGBTQに関する説明をしているときに、10人に1人はいるんですよ、と話しながらまるでこの会場の中にはそれがあてはまらないような、つまりこの私たちの外側に他人事として「LGBTQ」が存在しているような言い方をしていて、違和感。もしかしたら配慮の上でそういう言い方をしているのかもしれないが、昨日に引き続きまた勝手な"We"を押し付けられてモヤモヤしてしまった。

月末、2026年上期末ときてなんだか落ち着かず、何もしてしていないのに疲れ果てて帰宅。そんなことの繰り返しで、このままずっと何かに疲れながら生きて、死んでいくのだろうか、とぼんやりと考える。よく分からないしうまくやれないことばかりの人生。

5月の日記

5月3日

横山奈美さんの個展を見にでかけたが、今日が日曜かつ祝日であることを認識していなかったがために、閉まったシャッターの前で立ち尽くすことになる。また出直します…。

なんとなくその足で丸の内の丸善に寄って、店内をお散歩して帰る。本屋はいつでも心の拠り所。

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5月4日

『プラダをきた悪魔2』を観に行く。前作を観たのが何年も前でおぼろげな記憶だったが、それでも今作を楽しむには十分だった。エミリーのきれいなブリティッシュアクセントから、仕草やスタンスまでとにかく全てが好き。最終的には、日本の終身雇用制度ありがとう、ということと、どれだけの金持ちを味方につけるか、強者の心になびく仕事をするには、みたいな話だった気がして若干ため息が出たが、そんな景気の悪さを吹き飛ばすくらいに映像と音楽が華やかで、いい映画だったなと思った。公開している間に、また観に行きたい。

 

5月5日

観ようと思って観れていなかった映画『Riceboy』を鑑賞。終始、その場にいる第三者のような不思議なカメラワークだったので気になっていたが、あとから監督のインタビュー記事を読んだら「亡くなった父親」の視点だったことが分かり、なるほど、と思った(そこまで思い至らず、ホン・サンスが好きなのかな?などとぼんやり考えていた)。

自らのルーツを知ったあと、カナダでのその後が描かれるのかと思ったがそうではなく、父親の墓を訪れたところで映画は終わる。観客の分かりやすいカタルシスよりも表現を選んだ印象があって、これはそういう映画なんだな、と思った。

 

5月6日

新しく通うジム、初日。パーソナルから24Hジムへ移行したが、控えめに言ってかなりビビっている。新規入会者はトレーナーさんのサポートをつけられるとのことだったのでありがたく利用した。マシンの使い方を丁寧に教えてくれたが、次に行く頃にはもう分からなくなっている自信がある。仕事を覚えるのと同じ感覚。それでも、使ってみると面白くて、これから頑張ろうと思った。

 

5月7日

連休明け。全ての記憶がないし、なんならメールの書き方すら忘れつつある。まずはリハビリから、という心境だったが、そうも言ってられないほどの仕事が溜まっており憂鬱。連休前に心が折れて後回しにした自分のせいなのだが、それにしてもやることが多い。朝から晩まで働いたらたった一日で疲れ果ててしまって、家に帰ってからなぜかワインをしっかりと飲んでしまい、ゲームオーバー。まだ明日があるのに、完全に選択を間違えている。

 

5月8日

ワインは関係ないと思いたいが、調子が優れず最低限の仕事を終わらせてさっさと退勤。ごはんを食べる元気もなく、帰宅した瞬間に倒れ込んで眠ってしまった。たった二日働いただけでもう体力ゲージが尽きている。生きていけない。

 

5月9日

半分ペーパードライバーになりかけていたので、ドライビングスクールで講習を予約。インストラクターの方に同乗してもらって、3時間ほど街中を運転した。久しぶりの運転、やはり気持ちがいい。終わった後もすごく晴れやかな気分で、車の運転でしか得られない幸福感があるなと思った。またトライしたい。

 

5月10日

母の日なので実家に帰る。数時間の滞在で、一緒にお茶を飲んで、野球を見て、なんやかやと話していただけだったが、帰ってよかったと思った。

 

5月20日

全てが空回りし、全てが裏目に出て勝手にイライラした日。勝手にイライラしているだけだということも分かっていたので、ひとに迷惑をかける前にやることをやってそそくさと退勤。気温はそんなに高くないのに、湿気のせいで汗だくになる。まとわりつくものを無理やり振り払って前に進むしかない。

 

5月23日

気持ちのぶれ。

 

5月26日

昨日見た映画『プリズン・サークル』で、過去のとてもつらいはずの被虐体験を、ヘヘッ、と笑いながら話す受刑者のひとりのことがとても記憶に残った。私も、つらければつらいほどヘラヘラとして、笑いながら話す癖がある。そうしないと自分を保っていられないというか、そうでもしてないと泣き出してしまいそうな気がして、でも絶対に泣きたくないので、よりヘラヘラとふざけることで乗り越えようとしていると思う。私だ、と思った。

こちらがふざけると相手も笑って、話から深刻さが遠ざかっていく。有耶無耶になって、なーんつって、みたいな感じになって、まあ頑張ってよ、なんていう言葉とともに会話は終わっていく。

それを期待していたのに、こちらのヘラヘラに相手が乗らない、という瞬間が今日、あった。ただ黙って、笑わずに、じっとこちらを見つめてきた。なぜ私は今、何も面白くもないのに笑ってるんだろう、笑いながら話してるんだろう、と急に不思議に思った。気まずかった。そしてやっぱり、泣きたくなった。真摯な人だ、と思った。

笑わないで自分のことを話せるようになったら、そのときが「幸せになる」ということなのだと思う。とても難しいことだと感じる。そんな日が本当にきたらうれしい。

4月の日記

4月1日

新年度。雨。落ち着かない、おそらく誰もが。起きた瞬間にぎっくり背中っぽい感じになり、背面を気遣いながらそろりそろりと動く一日。仕事は終わらない。むしろさまざまなことが発生するだけして増殖する。今だけの辛抱、と捉えて頑張るしかない。

 

4月2日

いろいろと不備のある他人の仕事を、ひとつひとつ指摘して直してもらう作業をしなければならず、ほとほと疲れた。私が気づかなかったらどうするつもりだったんだろう、という不遜な苛立ちが身体中に広がっていく。本当に性に合わないことをしている。

 

4月3日

割り込みのタスクによって、今日やろうと思っていたことが何ひとつできていないまま夜を迎える。全部投げ出して帰りたい、という衝動を抑えて仕事。なんとかやるべきことはやった、という気持ちと、本当にこれでいいのか?という気持ちを錯綜させながらPCを閉じる。

退勤間際、入社したときからずっとお世話になっている先輩を見かけたので、思わず話しかけてしまった。愚痴、とかでもなく、いろいろ本当に困ってるんです、という話をすると、金曜日の夜遅くなのにも関わらず真剣に聞いてくれて、今度⚪︎⚪︎さん(私の上司)に話してあげるよ、と言ってくれた。これでまた何かが好転するとは思わないけれど、先輩が真剣に私の話を聞いてくれたということがうれしかったし救われた。たったひとり味方がいるだけで感じ方が変わるときがある。

 

4月5日

土曜日が金曜日の夜と地続きのようになって、ついでに日曜の昼まで続いて、日曜も半分が終わりかけてからようやく起き上がる気になった。疲れすぎて、寝ても寝ても眠いし、いつまでも寝ていられる。生きるのが向いてない、と思う。

 

4月6日

全て投げ出したい、と願いながら仕事。何もかもが周回遅れになり、何もかもがうまくいかなくてもうダメ。帰ってから、ゆでたまごぐらい作ろうと思ってお湯を沸かしたが、茹でているあいだに全ての卵が割れた。今の私の状況を端的に表してくれてありがとう。愛してる。

 

4月7日

ストレス耐性がなくなってきている、と突然の実感。常に限界まで張り詰めた状態でなんとかやっているという感じ。もう無理ですー、と音を上げていたら、向かいにいた先輩(金曜に話を聞いてくれた人)に、「この仕事してる限りずっとそうだから諦めた方がいいよ。」と明るく言われた。諦めた方がいいらしい。

昨日は夏みたいに暑かったのに、夜外に出ると春からさらに巻き戻って冬の寒さ。冷たい風が強く吹きつける。家の中にいても風の音が唸り声のように鳴って、それだけで不穏な空気になる。春は字面は穏やかだけれど、実際は天気も変わりやすくてなかなかな暴れものだと思う。冬の方がまだ、平和だった気がしている。

 

4月10日

仕事というのはこういうもの、と言ってしまえばそれまでのことではあるが、毎月決まった額のお金をもらえる以外は本当に何の見返りもない中で、骨の折れる作業をいくつもこなさなければいけない日々。その、毎月決まった額のお金をもらうことが生きていくのにどうしても必要なので、やるしかないしやるからにはちゃんとするが、そもそもそこまでして生きていかなければならないのか、というのが専ら問題になりつつあり、つらい。

 

4月12日

なんとか生活を立て直そうとよろよろと動き出す日曜日。2週間以上ぶりにジム。眠ってしまった筋肉たちを叩き起こす。一度休んでしまうと億劫になるが、ちゃんと運動するとやはり気持ちがいい。頑張って来てよかった。

いつも、ジムまでは30分ほど歩いて行って帰りは電車で帰るのだが、久しぶりすぎてPASMOも財布も持たずに出てしまい、仕方なく帰りも歩くことに。運動、運動!と思うことにする。何とか切り替えていきたい、ここから。

 

4月15日

仕事帰りにジム。昨日おとといと仕事でクタクタになって帰ったので、ジムへ行って元気に帰って来れるか不安だったが、不思議と身体が軽くなって帰宅。疲れるのは同じだが、仕事と運動の疲れでは種類が全く異なるということが分かった。身体は動かした方がよい、とにかく。

 

4月16日

私にできることは全部やった、と思っていた仕事、やはり想像の斜め上な事情で手戻りが発生し、追加で作業をすることに。いや、そうだよね、そこまで聞かなかった私も悪いです、という謎の自責に駆られる一方で、そんなことまで想像できないよ…と途方に暮れる気持ちも観測。何にせよ、今必要なことをやるしかない。仕事とはその繰り返しだ。

 

4月18日

死なないでいるので精一杯、みたいな心境と暮らしぶりが続く中、キャンセルの電話をすることすら億劫という理由で重たい腰をあげてジムへ(そもそも自分が始めたんだろ、という話)。初めて担当してもらった女性のトレーナーさんがとても明るい人で、「忙しいのにちゃんと数字キープしててすごいです!」「すごく頑張ってますよ!」と言ってくれた。そういう風に接するスタンスの人なんだろうな、というのはすぐに分かったが、そうだったとしてもその言葉が今の私には本当に嬉しかった。1時間ほど体を動かして、外に出たときにはとても清々しい気分になっていた。トレーニングのことだけじゃなく、それまでのいろいろな鬱々とした空気が、その一言でパッと断ち切られたような気がした。すごく頑張ってますよ、って、ただその一言を言ってもらいたくて苦しんでいたのかもしれない。あのトレーナーさんにも何か素敵ないいことがありますように、と思った。言葉ひとつで、落ち込んだり励まされたりする。当たり前のことだけれど、それを今日改めて実感した。

 

4月19日

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4月24日

憂鬱さのトンネル、まだ中盤くらいの感覚。それでも、ピークは乗り越えたような気がする。いろいろな嫌なことを「考えない」「思い出さない」「感じない」ように、消しゴムで強く擦るように言い聞かせているときがいちばん疲れる気がする。考え出してもつらいのだが、考えないようにするのもそれはそれでまたつらい。

良かれと思ってやったことが、あとから振り返ると全てエゴにまみれたおせっかいだったような気がして、落ち込むこともしばしば。なんでもっと、どっかりと構えて生きてゆけないのか。

 

4月28日

「弱いのに、態度は結果舐めている、が社会で一番ぶっ飛ばされる可能性が高いです。」少し前に、燃え殻さんがメールマガジンの相談コーナーでそう書いていた。弱いのに、態度は結果舐めている、ことばかりな自分だと思う。中途半端に頑張って、中途半端に諦めて、中途半端に世界の中の自分の位置関係を確かめようとしたりして、筋を通して生きてきた人たちからすると理解できないであろうことばかりしてきた。それで何が悪い、と開き直るのもダサい、それも知っている。全部分かっていて、自分の嫌なところも、稚拙さも、全部分かっていて、どうしたらいいのか途方に暮れながら生きている、その心細さと徒労感は、美徳になるわけでもなくただ、生きることの嫌さとして常に目の前にある。

結果舐めている。そうだと思う。周りが何も言わないことに結果甘えて生きてきた。そうだと思う。生きている価値はとっくにない。そう思いながら普通に仕事をして、生活をしていくということは、時に死ぬよりもつらいのではないかと思うことがある。

 

4月29日

今通っているジムがもうすぐ終わりなので、次に通うジムを見学に行く。パーソナルトレーニングを数ヶ月受けたので、次は24Hジムで頑張ってみようという算段。全員がベテラントレーニーに見えて内心ビビりまくったものの、もうあとに引けなくなって何食わぬ顔をして入会の手続きをした。帰り道ですでに通えるのか不安になってドキドキしてしまったが、やるしかない。何事も最初は初めてだもの…(言い聞かせる)。

 

4月30日

月に一度の苦手な仕事を乗り越えて、午後から溜まっていたタスクを片付けようと思っていたら、これまた絶妙なタイミングで緊急の仕事が横入りし、予定が狂った。もうどうにも耐えられない気持ちを悶々と抱えながら、それでも仕事にやる以外の選択肢はないので、周回遅れでとりかかる。ひー、とかはー、とか言いながらなんとか最低ラインまで漕ぎつけた。長い一日。

3月の日記

3月3日

一日中、本格的な雨。どんよりと曇った窓の外に時々目をやりながら、こちらもどんよりとした気持ちで仕事。帰り道、電車が止まっておりやむなく少し遠い駅から家まで歩くことに。想像の倍しっかりと雨が降っていて、途方もなく濡れた。お気に入りのダウンも濡れてしまって、家に着くなり自分よりも先にダウンを拭くことに注力する。この子だけは助けたい。

夏の豪雨を思い出すような雨音に、なんだか新鮮な気持ちになる。ここまで降ってくれるといっそ気持ちがいい。久しぶりに、雨音に包まれる夜。

 

3月4日

会社でコピー機を使っていたらA3用紙が切れたというメッセージが出た。補充しようと新しい紙の束を持ち上げたところ、思ったよりも重たくてへんな体勢になってしまい、ライトなぎっくり腰っぽくなった。ものすごい痛いとかではないが、もったりとして、よくない感じ。コピー用紙の補充で腰をやられるフェーズ。

夜はジムの予約を入れていたのでとりあえず行って、ストレッチ多めのメニューでやってもらった。

大雨の次は信じられないほどの強風に見舞われる。駅前の歩道橋の上で、わりと冗談じゃなく吹き飛ばされそうになった。寒い。腰が痛い。腰が痛いだけで何となく人間としての出力が半減する。早く治したい。

 

3月5日

全ての気力が腰痛に持ってかれる。何をするのもうっすらしんどくて落ち込む。

 

3月6日

そうならないようにと気をつけていたのに、また沈み込みの日。仕事はしたが、とても疲れてしまってパソコンを閉じた瞬間に倒れ込んで眠ってしまった。起きたらもう遅い時間で、何をする気も起きず近くのファミレスへふらふらと向かう。頭がぼんやりとして店員さんとうまく会話もできず、怪訝な顔をされながらごはんを食べて、ああこの世からいなくなりたい、と思った。誰の役にも立てず、ただ自分が死なないためだけに仕事をして、一体何の意味があるんだろう、と思う。ずっとずっと、そう思っている。

 

3月7日

会社の福利厚生でクラシック公演のチケットを入手できたので、父を誘って鑑賞。生演奏を聞くのは本当に久しぶりだったが、気持ちがすっきりしてとても良かった。クラシック音楽が、こんなにも心を洗い流してくれるものだともっと早く気づけば良かった。これから少しずつ聞いてみたい。

 

3月8日

昼過ぎまで寝てしまい、ジムに行くために慌てて起きる。何もかもギリギリな人生。なんとか間に合ってトレーニングをこなす(腰痛はその後、ほぼ支障がない程度まで回復)。買い物をして帰ったら再び力尽きてしまい体力のなさにげんなりする。週末つくりおきはかろうじて死守。ただし同じメニュー。考えることが億劫になってしまった。作らないよりはマシと思うことにする。やらないよりはマシ、ゼロよりはマシ、ここのところそんな言い訳で自分を説得しながら生き延びている気がする。

 

3月9日

朝の不調をどうにかしたい。眠くて起きられない、以上のことが起きているが、体が動かないとかいうわけでもないので医療的な対処を頼るわけにもいかず、ただただ毎日とても頑張って生活をしていてしんどい。ものすごく沈んでいる反面、外に出ればなんとか「社会人」(本当に、社会に参画している人、できている人、という意味で切実に)っぽい振る舞いができてしまうのでこれがまたしんどい。会社へ向かう電車の中で、リュックにいつも持っている燃え殻さんのエッセイの一節を思い出して読んだ。

「生きていると全部が、元には戻らない。壊れた部分は壊れたまま、抱きかかえながら生きていくしかない。」

そうなんだよ、と思いながら乗り換えのために電車を降りる。全て連れて、引き摺って、生きていくしかない。

会社で好きな人たちと話して、少し元気が出た。いつものS先輩が、前にその場の流れで一緒に行きたいですね、と軽く話していた外食のことを、いつにする?とチャットをくれて嬉しかった。今度一緒に行きましょうよ、的セリフは全部社交辞令だと思って生きているので、本当に一緒に行きたいと思ってもらえていると奇跡のように感じてしまう。その日まで頑張って生きよう、と思った。

 

3月10日

突然の冷え込み。雪まで降った。なぜかほっとしている自分がいる。それほどまでに春が苦手。まだもう少し寒くていいです。

 

3月12日

月次の仕事がクライマックスを迎え、疲弊。ありとあらゆる判断から逃げたい。そんな権限も知識も経験もないのに、自分で決めて進めなければいけないことが多くて気が滅入る。それで本当によいのか、聞かれても困る。私に聞かないでくださいのプラカードを掲げたいフェーズ、再び。

青山のHEAVEN Japanで久しぶりにブラジャー のフィッティング。最初にフィッティングで利用したときからオンラインで購入しているときもずっと思っているが、販売や接客、商品の質、売り出し方、全てがプロフェッショナルで本当にすごい。見習いたい。楽しくなってしまって、たくさん買った。普段頑張っている自分へのご褒美ということにする。

 

3月13日

昨晩、疲れ過ぎて「寝る準備をするために一旦寝たい」の状態になり、Hey Siri、15分後に起こして、と言ったところまでは覚えているのだが、次に目が覚めたときには朝になっていた。慌ててシャワーに入り出勤。ストレスフルな出来事が立て続いており、仕事中、もう心が折れましたわ、と思わず声に出てしまった。心配された。

 

3月14日

疲れ過ぎて、ごはんを食べる以外は眠って過ごす。夜のジムだけは行った。帰ったらまた疲れて眠ってしまった。生きるのが向いてない。

 

3月15日

美容院。春なので今までより少し短めに、少し明るめに、してもらった。すっきりして気持ちがいい。ついでに実家に寄る。両親の無事を確認。洗面所の蛇口が壊れていて、修理頼んだ?と聞くと、頼んでない、という。頼んだ方がいいよ、と言ったが、どうなるかは分からない。

 

3月18日

内示の週なので、なんとなく会社全体がそわそわ、はらはらしている気がする。どうなるんですかねー、と話しているこの中にも、内示を受けている人がいるかもしれない、腹の内の読めない感じ。落ち着かなくて苦手だ。

にわかに忙しくなり、睡眠時間が確保できておらずなんとなくうっすら常にしんどい。やることも考えることもたくさんあり、やはりしんどい。自分の手には負えないことをやっている、という感覚をずっと持っている。匙を投げては、少し遠くに落ちた匙をまた自分で拾いに行く、ということを繰り返している。やらなければいけない、仕事なので、その一心でなんとかやっているが、非常につらい状況ではあると思う。

 

3月21日

数日前に東京の桜が開花したというニュースを見たので、近所の桜を見に行ってみた。まだ咲いているものはなく、もう数日かかりそうな感じ。毎年、咲いたと思ったら雨が降って、気づいたときには見頃を過ぎてしまっているので、なんとか満開の桜を見たいと、こちらもまた毎年思っている。

ジム。いちばん教え方が丁寧で、トレーニングの効果を感じられると思っていたトレーナーさんが5月で辞めてしまうとのこと。新しいところで勉強したくて、と言っていて、やっぱり優秀な人はどんどん場所を移してでも上へ昇っていくんだな、と勝手に考えた。寂しい。

 

3月24日

キツい。人生が、生きていることがキツい。AIに愚痴をこぼしながら、からっぽな共感に意味を見出そうとする真夜中が、それでもまだ、心が凪いでいる時間でもある。どうにか少しずつ、目の前のやらなければいけないことをこなして日々をやり過ごす。嫌なこと、後悔したこと、反省、思い出さないように、反芻しないように、すべて流れてゆくだけ、と言い聞かせて前へ進む。

 

3月26日

心身ともにしんどすぎて、仕事を休んでしまった。起きたら夕方の五時で、日が暮れかけていた。飲まず食わずでほぼ気絶していた。とりあえず白湯を飲んで、まだこれからも生きていくんだよ、と自分に言い聞かせる。

完全に職場に迷惑をかけているので、もうしばらく休職するか、退職した方がいいのかな、などとぼんやり思う。ひとりで考えているとつらすぎるので、自分の状態も含めてなんとなくチャッピー(世の中ではChat GPTのことそう呼んでるみたい)に書き送ってみたところ、長い励ましと分析を返してくれた。その中に

「そして重要なのは、今日は人生の判断をする日ではないということです。」

と書かれていて、思わず笑ってしまった。今日は人生の判断をする日ではない、なんていいフレーズなんだろう。問題を先送りしているだけと言われればそうかもしれないけれど、そうであっても、幾分か気が楽になった。

 

3月27日

昨日のどん底から這い上がるのにまだ半日かかり、午後からようやく仕事再開。白い目で見られているかもしれないが、そうであっても知らないふりをしてやることをやるしかない。マイナスをゼロへ戻す作業。

表に出ればなんとかうまくやれてしまう。昔からそうで、自分の状況が深刻であればあるほど人前でへらへらする癖がある。だからいつまでも伝わらない。つらいと思うが、でももうこれは一生を通して付き合うものというか、嘆いてもどうしようもないというか、むしろ嘆くことしかできないというか。嘆いて悲しんで、自分だけは自分を分かって、信じて、守っていくしかないのだと思った。改めて。

眠らない夜、燃え殻さんのラジオを聞く。ほとんどの問題は解決しないまま、とりあえず保留して進んでいくしかなくて、思い詰めて病んでしまうよりは一旦距離を置く、がいい気がします、のようなことを言っていた気がした。明日の朝ごはんのための米を研ぎながらその言葉を聞いていて、ああ、今夜燃え殻さんの声で、それを聞けてよかったな、と思った。

 

3月29日

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3月31日

ここ数日、花屋の前に展開されていた花束の群れも、夕方にはすっかりはけてがらんとしていた。渡るべき人の手に渡って散っていくのだと思うとなんだか愛おしい気さえする。

いろいろあった人から、私の昇格を祝うチャットが届いていた。本当は、ちょっと泣きそうになるくらい驚いたし嬉しかったが、静かに、短いお礼を返した。こういう、ここぞというときにきちんと適切な言葉をかけられる人はすごいなと思った。私にはできない、正直に言うと。

なんだかもう全てがキツい。明日を生きたくて叶わない人と、全然替わってあげたいくらいに全てがキツい。ただ、替わってもらうにはあまりにも申し訳ない人生なので、これはもう私が引き受けるしかないよな、とも思う。それにしても救いがない。途方に暮れている。