3月3日
一日中、本格的な雨。どんよりと曇った窓の外に時々目をやりながら、こちらもどんよりとした気持ちで仕事。帰り道、電車が止まっておりやむなく少し遠い駅から家まで歩くことに。想像の倍しっかりと雨が降っていて、途方もなく濡れた。お気に入りのダウンも濡れてしまって、家に着くなり自分よりも先にダウンを拭くことに注力する。この子だけは助けたい。
夏の豪雨を思い出すような雨音に、なんだか新鮮な気持ちになる。ここまで降ってくれるといっそ気持ちがいい。久しぶりに、雨音に包まれる夜。
3月4日
会社でコピー機を使っていたらA3用紙が切れたというメッセージが出た。補充しようと新しい紙の束を持ち上げたところ、思ったよりも重たくてへんな体勢になってしまい、ライトなぎっくり腰っぽくなった。ものすごい痛いとかではないが、もったりとして、よくない感じ。コピー用紙の補充で腰をやられるフェーズ。
夜はジムの予約を入れていたのでとりあえず行って、ストレッチ多めのメニューでやってもらった。
大雨の次は信じられないほどの強風に見舞われる。駅前の歩道橋の上で、わりと冗談じゃなく吹き飛ばされそうになった。寒い。腰が痛い。腰が痛いだけで何となく人間としての出力が半減する。早く治したい。
3月5日
全ての気力が腰痛に持ってかれる。何をするのもうっすらしんどくて落ち込む。
3月6日
そうならないようにと気をつけていたのに、また沈み込みの日。仕事はしたが、とても疲れてしまってパソコンを閉じた瞬間に倒れ込んで眠ってしまった。起きたらもう遅い時間で、何をする気も起きず近くのファミレスへふらふらと向かう。頭がぼんやりとして店員さんとうまく会話もできず、怪訝な顔をされながらごはんを食べて、ああこの世からいなくなりたい、と思った。誰の役にも立てず、ただ自分が死なないためだけに仕事をして、一体何の意味があるんだろう、と思う。ずっとずっと、そう思っている。
3月7日
会社の福利厚生でクラシック公演のチケットを入手できたので、父を誘って鑑賞。生演奏を聞くのは本当に久しぶりだったが、気持ちがすっきりしてとても良かった。クラシック音楽が、こんなにも心を洗い流してくれるものだともっと早く気づけば良かった。これから少しずつ聞いてみたい。
3月8日
昼過ぎまで寝てしまい、ジムに行くために慌てて起きる。何もかもギリギリな人生。なんとか間に合ってトレーニングをこなす(腰痛はその後、ほぼ支障がない程度まで回復)。買い物をして帰ったら再び力尽きてしまい体力のなさにげんなりする。週末つくりおきはかろうじて死守。ただし同じメニュー。考えることが億劫になってしまった。作らないよりはマシと思うことにする。やらないよりはマシ、ゼロよりはマシ、ここのところそんな言い訳で自分を説得しながら生き延びている気がする。
3月9日
朝の不調をどうにかしたい。眠くて起きられない、以上のことが起きているが、体が動かないとかいうわけでもないので医療的な対処を頼るわけにもいかず、ただただ毎日とても頑張って生活をしていてしんどい。ものすごく沈んでいる反面、外に出ればなんとか「社会人」(本当に、社会に参画している人、できている人、という意味で切実に)っぽい振る舞いができてしまうのでこれがまたしんどい。会社へ向かう電車の中で、リュックにいつも持っている燃え殻さんのエッセイの一節を思い出して読んだ。
「生きていると全部が、元には戻らない。壊れた部分は壊れたまま、抱きかかえながら生きていくしかない。」
そうなんだよ、と思いながら乗り換えのために電車を降りる。全て連れて、引き摺って、生きていくしかない。
会社で好きな人たちと話して、少し元気が出た。いつものS先輩が、前にその場の流れで一緒に行きたいですね、と軽く話していた外食のことを、いつにする?とチャットをくれて嬉しかった。今度一緒に行きましょうよ、的セリフは全部社交辞令だと思って生きているので、本当に一緒に行きたいと思ってもらえていると奇跡のように感じてしまう。その日まで頑張って生きよう、と思った。
3月10日
突然の冷え込み。雪まで降った。なぜかほっとしている自分がいる。それほどまでに春が苦手。まだもう少し寒くていいです。
3月12日
月次の仕事がクライマックスを迎え、疲弊。ありとあらゆる判断から逃げたい。そんな権限も知識も経験もないのに、自分で決めて進めなければいけないことが多くて気が滅入る。それで本当によいのか、聞かれても困る。私に聞かないでくださいのプラカードを掲げたいフェーズ、再び。
青山のHEAVEN Japanで久しぶりにブラジャー のフィッティング。最初にフィッティングで利用したときからオンラインで購入しているときもずっと思っているが、販売や接客、商品の質、売り出し方、全てがプロフェッショナルで本当にすごい。見習いたい。楽しくなってしまって、たくさん買った。普段頑張っている自分へのご褒美ということにする。
3月13日
昨晩、疲れ過ぎて「寝る準備をするために一旦寝たい」の状態になり、Hey Siri、15分後に起こして、と言ったところまでは覚えているのだが、次に目が覚めたときには朝になっていた。慌ててシャワーに入り出勤。ストレスフルな出来事が立て続いており、仕事中、もう心が折れましたわ、と思わず声に出てしまった。心配された。
3月14日
疲れ過ぎて、ごはんを食べる以外は眠って過ごす。夜のジムだけは行った。帰ったらまた疲れて眠ってしまった。生きるのが向いてない。
3月15日
美容院。春なので今までより少し短めに、少し明るめに、してもらった。すっきりして気持ちがいい。ついでに実家に寄る。両親の無事を確認。洗面所の蛇口が壊れていて、修理頼んだ?と聞くと、頼んでない、という。頼んだ方がいいよ、と言ったが、どうなるかは分からない。
3月18日
内示の週なので、なんとなく会社全体がそわそわ、はらはらしている気がする。どうなるんですかねー、と話しているこの中にも、内示を受けている人がいるかもしれない、腹の内の読めない感じ。落ち着かなくて苦手だ。
にわかに忙しくなり、睡眠時間が確保できておらずなんとなくうっすら常にしんどい。やることも考えることもたくさんあり、やはりしんどい。自分の手には負えないことをやっている、という感覚をずっと持っている。匙を投げては、少し遠くに落ちた匙をまた自分で拾いに行く、ということを繰り返している。やらなければいけない、仕事なので、その一心でなんとかやっているが、非常につらい状況ではあると思う。
3月21日
数日前に東京の桜が開花したというニュースを見たので、近所の桜を見に行ってみた。まだ咲いているものはなく、もう数日かかりそうな感じ。毎年、咲いたと思ったら雨が降って、気づいたときには見頃を過ぎてしまっているので、なんとか満開の桜を見たいと、こちらもまた毎年思っている。
ジム。いちばん教え方が丁寧で、トレーニングの効果を感じられると思っていたトレーナーさんが5月で辞めてしまうとのこと。新しいところで勉強したくて、と言っていて、やっぱり優秀な人はどんどん場所を移してでも上へ昇っていくんだな、と勝手に考えた。寂しい。
3月24日
キツい。人生が、生きていることがキツい。AIに愚痴をこぼしながら、からっぽな共感に意味を見出そうとする真夜中が、それでもまだ、心が凪いでいる時間でもある。どうにか少しずつ、目の前のやらなければいけないことをこなして日々をやり過ごす。嫌なこと、後悔したこと、反省、思い出さないように、反芻しないように、すべて流れてゆくだけ、と言い聞かせて前へ進む。
3月26日
心身ともにしんどすぎて、仕事を休んでしまった。起きたら夕方の五時で、日が暮れかけていた。飲まず食わずでほぼ気絶していた。とりあえず白湯を飲んで、まだこれからも生きていくんだよ、と自分に言い聞かせる。
完全に職場に迷惑をかけているので、もうしばらく休職するか、退職した方がいいのかな、などとぼんやり思う。ひとりで考えているとつらすぎるので、自分の状態も含めてなんとなくチャッピー(世の中ではChat GPTのことそう呼んでるみたい)に書き送ってみたところ、長い励ましと分析を返してくれた。その中に
「そして重要なのは、今日は人生の判断をする日ではないということです。」
と書かれていて、思わず笑ってしまった。今日は人生の判断をする日ではない、なんていいフレーズなんだろう。問題を先送りしているだけと言われればそうかもしれないけれど、そうであっても、幾分か気が楽になった。
3月27日
昨日のどん底から這い上がるのにまだ半日かかり、午後からようやく仕事再開。白い目で見られているかもしれないが、そうであっても知らないふりをしてやることをやるしかない。マイナスをゼロへ戻す作業。
表に出ればなんとかうまくやれてしまう。昔からそうで、自分の状況が深刻であればあるほど人前でへらへらする癖がある。だからいつまでも伝わらない。つらいと思うが、でももうこれは一生を通して付き合うものというか、嘆いてもどうしようもないというか、むしろ嘆くことしかできないというか。嘆いて悲しんで、自分だけは自分を分かって、信じて、守っていくしかないのだと思った。改めて。
眠らない夜、燃え殻さんのラジオを聞く。ほとんどの問題は解決しないまま、とりあえず保留して進んでいくしかなくて、思い詰めて病んでしまうよりは一旦距離を置く、がいい気がします、のようなことを言っていた気がした。明日の朝ごはんのための米を研ぎながらその言葉を聞いていて、ああ、今夜燃え殻さんの声で、それを聞けてよかったな、と思った。
3月29日

3月31日
ここ数日、花屋の前に展開されていた花束の群れも、夕方にはすっかりはけてがらんとしていた。渡るべき人の手に渡って散っていくのだと思うとなんだか愛おしい気さえする。
いろいろあった人から、私の昇格を祝うチャットが届いていた。本当は、ちょっと泣きそうになるくらい驚いたし嬉しかったが、静かに、短いお礼を返した。こういう、ここぞというときにきちんと適切な言葉をかけられる人はすごいなと思った。私にはできない、正直に言うと。
なんだかもう全てがキツい。明日を生きたくて叶わない人と、全然替わってあげたいくらいに全てがキツい。ただ、替わってもらうにはあまりにも申し訳ない人生なので、これはもう私が引き受けるしかないよな、とも思う。それにしても救いがない。途方に暮れている。